お狐様といなりずし








 『稲荷神社はキツネの神様を祭った神社である』。
 というのは非常に浸透しすぎた大間違いである。
 お稲荷様に祭られているのは五穀豊穣の神様・ウカノミタマであるが、神様はキツネではない。
 キツネは、その神様に使える眷属という立ち位置。つまり下っ端。俗に言うパシリ。
 よく稲荷神社の入り口の両脇に、狛犬に代わって二体の対になったキツネの石像が鎮座してあるのは、要は下っ端の門番として守っているからに相違無い。

 そして、稲荷と言えば油あげ。
 キツネの好物として広く知られており、稲荷神社のお供え物としても油あげを持参する者がほとんどである。
 稲荷のお供え物として油あげを奉納するのは、簡単に言えば『神様に願いを聞いてもらいたいなら、まず部下の門番の好物を心づけとして献上する』といった意味合いが含まれている。
 が、いつしかキツネが神様だと勘違いされ、心づけであったはずの油あげが稲荷神の好物と誤認され、結果それが全国区で知れ渡ってしまうのだから何とも皮肉な話だろう。

 「もぐもぐ」

 そのような稲荷神社の縁側で、直角三角形型になった大判の油あげを稲荷が素手で食べている。
 年齢こそわからないが、身体的にはその辺にいる子供と大差ないほど小さい。
 稲荷としての幽玄さは蚊ほども無く、むしろ単なるキツネ耳としっぽを付けた幼女といったほうが場を説明にするには充分すぎる。
 何より、巫女服を着ているのだ。
 里のはずれの稲荷明神を、神の眷属である稲荷の少女が管理し、さらに本来人間が行うはずの巫女の役目も果たしているという、なんとも不可解な事になっている。
 奇妙なことこの上ないが、それを知ってか知らずか、ただ好物の油あげを無言で食み続けている。

「……」







 『キツネは油あげが大好き』、という理論には諸説あるらしい。
 ある説を挙げると、油あげの色をよく実った黄金色の稲穂や麦穂に見立て、そこから祭ってある五穀豊穣の神様と結びつけた……というものである。
 実際のところは誰によっていつどこから言われ始まったのかもわからない眉唾話だが、説得力の上では一番真実に聞こえなくはない話だ。

「むぐむぐ」

 黙々と油あげを噛み続けて、時々片耳がぴくっと動く。
 この動きが実に本能をくすぐるもの可愛さ愛おしさなので、思わず反射的に手を伸ばしたくなってしまう。
 しかし、犬や猫のゆれるしっぽがかわいいといっても、それをぐいっと掴んだら思い切り吠えられるし噛みつかれる。相手が稲荷であっても、つまりそういうことになるのは火を見るより明らかだった。
 とても嬉しそうに食べる姿を見ていれば、そのような気持ちすら掻き消してくれそうなのが幸いであった。

「おいしい?」

「うん」

 特に深い意味も無く、彼女に対してそう聞く。彼女は口に油あげをくわえたまま、首を縦に振った。
 表情は平静を装っていたが、腰から出ている金色のしっぽは左右にゆらゆら揺れ、片耳が小刻みに不規則な動きをしているので、現在の感情を読み解くのは容易かった。
 やはり動物的な部位は感情に正直らしい。そして食べることに真剣らしい。
 何枚か持参した油あげも残り二枚ほどになり、耳やしっぽの動きを見ている間にそれも既に食べ始めていた。
 その際に、また彼女の方をじっと見ていたが、少し経った頃に再び声をかけた。

「おいしい?」

「うん」

「本当に?」

「うん?」

 半分まで口の中に消したところで、ようやくこちらを振り向いた。
 質問は非常にふわふわした言い方をしたせいか、疑問符を頭に浮かべていた。

「油あげってさ、油っぽい気がしない? 油で揚げているからそうなんだけどさ。あと味が無いし」

 自分の中で思っている油あげへの考えを述べてみる。
 油あげは薄切りにした豆腐の素揚げだから、味が付いていない。そして揚げているから油っぽくなり、そのまま食べるようなものではない。そう思っていた。
 稲荷は一通り意見を聞いたところで、くわえていた油あげを一口だけちぎって飲み込むと、口からそれを離して。

「そんなこと無いよ。おいしいよ」

 と言葉少なめに否定した。
 好物を否定したように聞こえたかもしれなかったが、どうやら特に憤慨しているというわけでも無いみたいだ。
 とはいえ、自分は油あげにおいしさを見いだせない以上、病的とまではいかなくもここまで好きな事に対しては疑問を持たざるを得なかった。

「じゃあさ、どんな感じかいまいちわからないから、詳しく油あげのおいしさについて教えてほしいな」

 稲荷が油あげに惹かれる理由とは何か。
 個人的にどうにも解消されない些細な疑問のうちの一つ。
 最良なのは、それが大好きな本人に語ってもらう事だと思った。
 好物について語ってくれと言った瞬間の彼女は、まるで目の前にエサを出された犬猫のように、丸い瞳を輝かせていた。

「んとね……」

 彼女は最後の一枚となった油あげを両手で小さく丸めると、ひょいと口の中に放り入れる。
 途端に縁側から石畳へぴょんと一飛びし、先程放り入れた物を噛みつづけつつ辺りをうろうろし始めた。
 時折目を閉じたり、足元に視線を移したり、何が考えているであろうなかなか歯切れの悪い行動が続く。
 案外すんなり答えが出るのかと考えていたが、そうでもないらしい。
 一分くらい経過した段階で彼女は歩みを止め、咀嚼していた油あげを飲み込むと、こちらに向き直ってようやく口を開いた。

「素材の味が生きていて、雑味が無く、淡白ながらも単純な口当たりと食感によって、どことなく郷愁を思い出させてくれる味!」

 "おいしさ"であり"惹かれる理由"はこういうことなのだと彼女はかく語りき。
 自らの感覚に間違いはないとばかりに、鼻息荒く胸を張った。
 さらに冷静に饒舌な語りを述べ終わった後でも瞳は輝いており、それが本心なのだとよくわかった。
 その意味ではわかったことはわかったが……。

「それって味無いってことだよね?」

「うん」

 いや、やはりよくわからない。
 彼女も油あげに特に味が付いていないことをわかった上で食べているのであり、結局何の参考にもならなかった。
 味が無いのに好物とは、病人か老人みたいだ……というと各方面にいろんな意味で失礼な気がしたので、口には出さなかった。

「はい、手拭き」

「ありがと」

 結局理解はできなかったが、嘆称の代わりとして油まみれの手を拭く濡れ布巾を差し出すと、彼女は快く受けとってくれた。
 油ものは濡らした布ではなかなか落ちないからか、随分念入りに両指先を拭ってから布巾を返してきた。
 残りの拭ききれなかった分は袂で適当に拭っていたので、躾にうるさい大人が見たら雷を落とすだろう。

「お昼ごはんも持って来たけど、どう?」

 ほどなくして、自分の腰掛けていた場所の少し横に置いていた風呂敷包みをひざに乗せて、返って来る言葉も予想した上でわざと聞いてみた。

「食べる!」

 言葉も表情も何もかもびっくりするくらい想像通り、歓天喜地とばかりの反応を彼女は見せてくれた。動物的な部位の動きは言わずもがな。
 よしよし、と一人で納得しながら風呂敷を開いた。
 中身は数枚の熊笹の葉で包み込んだ塊。
 さらにそこを開くと中には、黄金色に照る稲荷寿司が複数個鎮座していた。

「いなり!」

「そりゃ君だよ」

「寿司!」

「そうだね。おいなりさんだね」

 甲乙付けがたいほど大好きな食べ物を前にして、もはや興奮が冷めやらぬ様子を醸し出す、その名と同じ稲荷の少女。
 しっぽの動きは残像になってしまって、もう目では追えない。

「召し上がれ」

「わーい♪」

 勧める言葉をかけると、さながら”待て”を解かれた犬のように上機嫌で飛びついた。
 すぐに笹の上に並んだ稲荷寿司を指差すと、どれにしようかな、とよく子供が遊びで使う数え歌と共に指を差して選別しだした。
 ちなみに見た目も中身はすべて一緒である。

「これ!」

 数え歌が終わると間髪入れずに最後に指差していた稲荷寿司を手掴みで取り、口へ運んだ。

「ん〜♪」

 至福。
 この世全ての幸福が、今一瞬の時に凝縮されて『味覚』として顕れたと言っても過言ではない、そんな表情をしていた。
 油あげは集中して無表情で食べていたので、その落差がかなり大きい。
 先程拭いたばかりの手が再び油まみれになっても何のその。あの喜び様を言葉で表現するなど無粋の極みだろう。
 いつもは油あげのみだが、時たまこのように稲荷寿司を持参する。毎回だと恩の押し付けみたいで厚かましい気がして(彼女の場合そこまで邪推はしないと思うが)、気まぐれで持って来ていた。
 あまり期間を空けすぎるとせっつかれるので、適度に間隔を押さえている。

「酢飯だけだと味気無いかなって思って色々入れてみたよ。みじん切りにした椎茸と、ニンジンと、生姜。どうかな?」

「おいしい!」

 そう言う彼女の顔は本当に幸せそうであった。何故油あげが好きなのか、等の疑問も正直どうでもよくなる。こんなにおいしそうに食べているなら、それは些細な事。
 あっという間に一個目を平らげて二個目に手を伸ばす。
 その様子をじっと眺めていたが、ふと彼女が気になったのか声をかけてきた。

「食べないの?」

「うん? そりゃあ、君のお昼用に作って来たわけだし」

 先頃から自分ばかり食が進んでいるのに相手がまったく手を付けないことに気づいた様子。
 もしかしたら、ずっと食べる姿を眺めていた視線が物欲しそうな目として感じたのかもしれない。
 とにかく自分用ではないから構わず食べてくれて良いから、と説明はしたのだが。

「一人より二人で食べたほうがおいしいよ」

 と、かわされたというか突っぱねられてしまった。

「ん、じゃあ一個いただくかな」

 あまり遠慮を繰り返すと本格的に怒られてしまいそうだったので、程々のところで折れた。好意を無下にするのは夢見が良くは無い。
 残り二・三個のうちひとつを摘んで口に持って来た。
 正直なところ、普通の寿司は好きなものの、稲荷寿司はそこまで好みじゃない。
 というか皮の甘さがどうにも慣れない。味の薄い油あげで包んだ物は好きだが、彼女は甘い皮のほうが好きなので持参品はこちらにしていた。
 具材に椎茸や生姜を入れたのは風味でそれを抑える意味もあった。実際食べることになるとか思わなかったが。

「うん、まぁ、おいしいね」

「うん♪」

 彼女の笑顔の前では、好き嫌いの気分も根負けだ。
 味のほうは、作った本人として言うのも何だが、そこそこおいしいと思った。特に生姜が良い役割をしてくれていた。
 気恥ずかしいので、最初に噛みついて残った部分は一口で処分した。ちょっと甘みが強く口に広がったもの、大した問題ではない。

「んふふ♪」

 稲荷は稲荷寿司を頬張ってご満悦である。
 そんな折、少しだけ、いじわるしてみたくなった。
 甘い油に濡れた手を手拭きで綺麗にした後、こんなことを聞く。

「稲荷寿司と油あげ、どっちが好き?」

「どっちか? うーん……えっと……」

 どちらが良いのかなんて聞かれるとは思っていなかったのだろう。油あげを食べた時と同様に、難しい顔して悩み始めた。
 最初は味も無く口当たり淡泊な油あげはおいしいと言った。次は味付け多彩の稲荷寿司をおいしいと言った。
 ならば、どちらのほうが好みなのだろう。どちらが上に位置するのだろう。
 油あげに惹かれる理由の次に気になってしまった。

「んーとね」

 彼女は思い立ったかのように、両手を叩いた。

「おいなりさんはおいなりさんでおいしいし、油あげは油あげでおいしい。だから、どっちが好きって言われても選べないな」

 そう、笑いながら言った。
 答えは、どちらがではなく『どちらも』。同着一位に上も下も無いらしい。いやはや恐れ入った。
 というよりも、正直これと似た解答をする気はしていた。選ばない、いや、 好きな物だから順位もへったくれも無いと思っていた。

(何聞いているんだろう、俺。同級生の女子にいじわるする男子と、やっていることが同程度だろ)

 内心自分の馬鹿さ加減にうんざりしたが、ふと気が付くと、彼女がじっとこちらを見ているではないか。
 彼女の目を見て、別に要求されたわけでもないがそうしなければいけない気がして、稲荷寿司を掴んだ方ではないもう片方の手で頭をくしゃくしゃと撫でてあげた。

「君はオトナだなぁ」

「そう? えへへ」

 ゆったりと、のらりくらりとしっぽが左右に振れる。稲荷は気恥ずかしそうな表情を浮かべていた。良い笑顔だ。










『キツネは油あげ大好き』、という理論には諸説あるらしい。
 宗教由来、豊穣由来、姿形由来、昔話由来。
 説得力があったり無かったり、納得出来たり出来なかったり。
 でも、油揚げをとても嬉しそうに食べる妖怪である稲荷の、元・キツネである彼女を見ていて考えた。
 もしかしたら、本当にキツネがうまそうに油あげを食べていたのを、昔の誰かが見て、それで『キツネは油あげ大好き』としたのではないだろうか。
 ありがたい理由も全部吹き飛んでしまうような結論だが、彼女を見る限りそれが一番正しい気がしてきた。

 言うなれば、個人的にはこういうことかもしれない。

 『彼女が大好きというのだから、それで良いじゃないか』、と。











「ちなみに、次は何食べたい?」

「えっとねー、餅きんちゃく!」

 


  きつねっ娘、イイッスね!

  あまり関係ないですが、このお話を書いた背景には色々と深い理由があります。
  
  去る2013年5月のゴールデンウィーク中、実家に帰った際にですね……
  そばにある田んぼで、野生のキツネさんがお亡くなりになっていたのですよ。
  それを見た自分は悲しくなりまして、キツネさん(というか稲荷)の物語を思いついたわけです。

  弔いとかそういう気持ちで書いたんですけど、いや、今考えるとおこがましいッスね。うん。


  冒頭の写真のロケ地は、宮城県仙台市青葉区川内追廻にある「蛎崎稲荷大明神」です。無人のちっこい社です。
  狛犬代わりのキツネさんの像はキバがあってカッチョイイでしょ!?
  興味のある方は是非どうぞ!

  あ、社の拝むところに、黄色いフタの付いたガラスケースがあるのですが
  それはお賽銭入れるために自分が置いたやつです。だって、お賽銭を野ざらしにできないもの。

 

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